1編

SONY 神話、あるイノベ―ションの物語
 SONY Myth, It's an innovation story of media


2章
映像の記録メディアの用法と様式の共進化する



2◇ 怒り狂ったハリウッドは敗退しそして復活した


2.1 ハリウッドからの著作権提訴

ベータを売り出して間もない1976年9月初頭のこと、思わぬ伏兵が戦線の正面に現れ、最大のリスクがソニーを襲った。
それは、盛田が恐れたハードに関する独占禁止法でなく、ソフトウエア―からであった。

アメリカ映画のスタジオがひしめく、ハリウッドからの著作権侵害の提訴だった。デズニーとユニバーサルは、ソニーを著作権侵害の訴えを起こした。

ハリウッドの映画業界は、国民の眼と耳の時間を、勃興したカラーテレビに奪われつつあった。
映画産業は、斜陽産業と見なされ、スタジオは、テレビドラマやソープオペラと呼ばれ日本で昼メロと言われるドラマを手掛けるようになっていた。

政治は、映画と親和性がある。大統領選はお祭り騒ぎで人集めに人気俳優を引っ張り出したり、レーガンやシュワルツネッカー自身も人気俳優であり、民主主義はポピュリズムと近しい。

これは戦後の日本も同様で、当時最大の保守政党のスポンサーは、映画界の業界で、特に大映の永田氏は有名であった。
当時、日本がモノ作りで所得を倍増するためのボトルネックは、必要な物資やエネルギーを海外から購入するための外資がボトルネックであった。そのため、外国映画の輸入にも枠が定められており、昭和30年代では、年間20~30本に制限されていた。この外資制限でも、所得倍増計画を可能であるとしたのが下村治とそのブレーンの坂元平八であった。

これは、アメリカのエンターテインメントとメディア産業の歴史の転換点を示す重要な事件でもあった。
以下少し、「ソニー自叙伝」から引用しつつ概要を振り返る。

「これで、『コロンボ』を見ているから『コジャック』を見逃す、ということはなくなります。その逆もありません。ベータマックス——ソニーの製品です」。
広告代理店から送られてきたソニーの家庭用VTR「ベータマックス」広告のラフスケッチを手にして困惑していたのは、ユニバーサル映画とその親会社MCAであった。『刑事コジャック』と『刑事コロンボ』は、ユニバーサル映画配給の人気テレビ番組の双璋だった。
その困惑はやがて、ロサンゼルス地裁への提訴に始まる8年がかりの大訴訟へと変わっていったのである。「著作権侵害」、初めてソニーが突きつけられた「容疑」だった。

 原告のユニバーサルスタジオとウォルト・ディズニー・プロダクションが、ソニー本社およびソニー・アメリカを訴えた主張は、以下のようなものであった:
(1)映画は製作者側の著作物である 
(2)著作権を持つということは、複製の独占権を持つということである 
(3)著作者でない個人消費者が勝手にテレビ映画を複製するのを可能にする家庭用VTRは、必然的に複製権の独占の侵害、つまり著作権の侵害となる 
(4)その侵害行為を行うVTRを実際に使用した個人はもちろん、それを製造・販売するソニーは侵害行為に寄与している

 この訴えが認められば、アメリカ市場におけるベータマックスの販売を諦めるか、膨大な著作権料を支払わなくてはならない。
しかし、ソニーだけでない、世界の電子産業全体の将来にとって重要な訴訟だ。
ソニー側の理論の中心となり、やがて裁判上のキーワードになったのは、盛田の造語「タイムシフト(時間に拘束されずにテレビ番組を見られる)」という概念で、ソニー側の掲げた主張は、次のようなものであった。
(1)家庭用VTRは、一般大衆が受信機を持ってさえいれば、本来見られる番組を単に時間帯を変えて見られるようにしているに過ぎない、つまり「放送の延長」であり「複製」ではない 
(2)公衆の電波はより多くの人に情報を伝達するために与えられた公衆の資産である。そこに情報を乗せた以上は、多くの人に情報を伝えるための道具であるVTRの存在も認めるべきである

 1979年10月、ロサンゼルス地裁でソニーの主張は認められ、全面勝訴した。ところが、ほっとしたのも束の間、ユニバーサル側の控訴により行われた 1981年の米国連邦高等裁判所の審議では、一転して敗訴となった。ソニーはもちろんこの判決を不服とし、翌年ワシントンの連邦最高裁判所に控訴することになる。
しかし、敗訴すると、一転して注目が集まった。アメリカ中の、いたるところの新聞がこの「ソニーの大々的な敗訴」を取り上げ、しかも、そのほとんどが「けしからん判決だ」というものだった。テレビの前でビデオを見ている人に、ミッキーマウスが手錠をかけに来るという1コマ漫画まで掲載された。

 盛田は「この問題は裁判にとどまらず、いずれかは議会にまで波及する」と読んだ。なぜなら、この当時のアメリカの著作権法には、家庭用VTRのような新しい技術に対応する明確な記述がなかった。
 「このような判決を出させる『著作権法』こそ問題である」とばかりに、私的複製を合法化すべく、猛烈に立法活動を始めるアメリカ議員も出てきたのである。

「この家庭用VTRの問題は訴訟、裁判という特定当事者間で決着するのではなく、立法で決着すべき本質的な命題を含んでいる」と盛田は確信した。ソニーにとって、法の遵守は基本姿勢だ。しかし、裁判がよりどころとする既存の法がおかしい、あるいは足りない時には、訴えていく必要もあるという信念を彼は持っていた。
盛田の指揮の下、当時ソニー本社の法務スタッフとして、伊庭、米澤、真崎、徳永等が、ソニー・アメリカのクリス・和田、そして弁護士のダンラビー氏たちと裁判の準備をした。同時に、何人かの議員の協力を得て立法化に向けた準備も進めていく。高裁の敗訴後、こうしてベータマックス問題は、大裁判と大立法活動が同時に並行して進む珍しいケースとなっていったのである。

「タイムシフト」に基づくソニーの主張の正当性を訴え、利害の一致するほかのメーカーや消費者、流通業者を組織し、HRCCというコアリション(利害が一致する企業・個人の集まり)を組織化した。有力なロビイストや弁護士を雇い、この団体を母体に、直接議員にロビイ活動を行う一方、市民の署名活動を組織したり、消費者団体、ユーザーやディーラーからも地元議員に手紙を出してもらうよう呼びかけたりした。いわゆる草の根運動、グラスルーツ運動だ。そして、この運動はアメリカでもまれに見る大がかりなものとなっていった。

 一方、アメリカ映画産業側も、大物スターや多勢のロビイストを動員しながら、対抗してくる。著作権問題は連邦議会の問題でもありながら、それに販売業者、消費者、そして映画産業、音楽産業が複雑に絡み合う規模の大きなものとなっていった。

 マス・メディアからも質問が殺到した。盛田を中心に公開討論、スピーチなども積極的に行い、電波に乗せてアメリカ国民へメッセージを送った。また、「What time is it now ?」の見出しで、タイムシフトの「健全な常識」を世に訴えるオピニオン広告を一流新聞の1面全部を使って掲載したりもした。大変なエネルギーと時間をかけて、盛田たちは全米を説いて回り、決して諦めなかった。

最高裁の審議は始まった。しかし、最高裁の本論に入ったあとも、待てど暮らせど判決が出ない。やっと出た判決は何と「リ・アーギュメント」。つまり、9 人の最高裁判事の前でもう一度議論せよというものだった。

 そして再審議の後、ついに出た判決は、5対4というソニーにとってきわどい勝訴であった。判決理由は、「無料テレビ放送の電波から家庭内でビデオ録画を行うことは、著作権侵害には当たらない。メーカー側に一切法的責任なし」。判決文の中に、「タイムシフト」の言葉が使われていた。家庭用VTRは人々の生活に便益をもたらすものであるという盛田の強い信念に基づいたものだった。日米で必死に動いたスタッフの努力は実を結んだ。1984年1月17日、訴えが起こされてから実に8年が経とうとしていた。米国連邦最高裁判所において、初めて日本企業が勝訴した記念すべき日となった。法を変えることなく、タイムシフトに基づく主張は正当と認められたのだ。

 違う時代に同じ訴訟が起こっていたら、同じ判決が出たかどうか分からない。当時は、家庭用VTRが、ほとんどがソニーの主張するタイムシフト的な使い方をされていたため、ソニーの訴えた主張が正当とみなされた。

「ベータマックス訴訟」は、まさに「時代が生んだ」訴訟であり、判決であった。
以上が、「ソニー自叙伝」からの引用である。

しかし、タイムシフトの時代から、井深が考えた”ビデオ・オンデマンド”へと時代は進んでいた。


1) 許されざるフリー・ライダー vs. フェアー・ユース

アメリカ人が最も大切にするのは、自由であると言えよう。
自由の女神は、ニューヨーク港の入り口、つまり昔奴隷を輸入した税関の跡地のフランスから贈られた立像のリバティを思い浮かべるが、アメリカ人のそれは、リバティというよりもむしろ、フリーダムに近いように思われる。

つまり過去の束縛からの規則や強制からの自由というよりも、むしろ未来に向けてフリーハンドで選択できる自由と言うべきもののように思われる。
そして、何より彼らが最も忌み嫌うのは、そうした自由を踏みにじる”フリー・ライダ―”であるようにおもわれる。
これは、いわば他人の財産を横取りする、例えばカーボーイの隙を見て牛を盗むような行為である。こうした行為は、村外れでリンチやハンギングしても許される。
一方、ヨーロッパでは、むしろリバティが大切にされているように思われる。それは、きちんと論理的に事前に整理されたローマの壮大な建築物のような法体系である。

簡単にいえば、シビル・ローでは、やっても良いことや権利を、勝取った様にリストアップされている。これに対しコモン・ローでは、基本的には何をやっても良いが結果が社会に悪い結果となれば、罰を受ける。

簡単に言えば、前者が食べても良いものをポジテブな項目として並べたカタログリストであるとすれば、後者は、食べてはいけないネガテイブな禁止食物のメニューであるといえよう。
したがって、アメリカでは、憲法も修正して追加されて行くし、裁判の判例が立法と同様な意味をもつことになる。
一方、日本やヨーロッパ大陸は、やって良い権利を国王がら勝得たリストであったが、民主化が進むと、立法者が予定調和的に、事前に良い社会をデザインしておくことが必要となる。

このことは、技術の発達やイノベ―ションにとって重要な社会の発展を律則する規範となる。
とくに日々進化するデジタル技術時代のイノベ―ションでは、著作権や特許権等が、致命的なボトルネックとなる。
盛田や日本の法律に詳しい専門家達が、” 「この家庭用VTRの問題は訴訟、裁判という特定当事者間で決着するのではなく、立法で決着すべき本質的な命題を含んでいる」と盛田は確信した。”と考えたのも当然であった。

アメリカでは、映像の著作権は、毎日毎晩、新しい表現形態の売買が成立した瞬間、新しくそれが権利として生じることになる。しかし、日本では、明治天皇が特許した”紙に印刷されたりして公表されたかれこれ”だけが著作権法によって保護されている。

例えば、サーバーにWEBデータをかき集めて記録保存する行為は、特許法の権利のリストには無かった。Googleがこうした行為はどうなるかと文科省に尋ねても、その判断は、従来の法の建て付け論で運用の建前が通用するかどうかは、保留され続け、結局難しい案件はポジティブリストに明示される立法まで持越しとなる。つまりそれは逆に、違法であるとの判断が運用解釈で成される可能性がリスクとして残される。

アメリカでは、基本は自由でやっても良い。そして何か問題提起が成されれば、結果の自己責任で解決すれば良いのである。ピストルは所持しても構わない、ヒトを殺めなければである。

もう20年位前、経産省がGoogleに対抗するため、WEBからデータをかき集め、日本語コーパス(現代の日本語の語彙と用法の文化資源となるデータベース)を作成しようとしたプロジェクト、「情報大航海時代」があった。100億円位が投資されたが、文科省がその著作権の判断を保留したため、打ち切りとなった。
似たプロジェクトは、総務省でも起こされたが、著作権フリーとなった万葉集や樋口一葉や夏目漱石等では、イノベ―ションの役には立たない。日本では、まず法整備が無くては、リスクが高く、投資は極めて困難である。

因みに、Googleは、各言語のコーパスを、全世界で1000万台の超えるサーバーに蓄え時々刻々更新をしているが、日本には、一台も置いていない。
ただ、数年前、50年ぶりで著作権の改正があり、サーバーへのアップロードは、著作権として認められるようになり、違法ではなくなった。ただ、WEBから生きた日本語を時々刻々とクローリングし、テキストのデータベースを更新するには、毎年数千億円投資を継続し続ける覚悟が必要である。
(ただ、政府は、サーバの設置場所を明確にすべしとする方針を決めたと2022年2月の日経は伝えている)

ただ、フリー・ライダは、やられてもそれを見逃し胡坐をかいていると、ラッチス:懈怠に問われる。ベータが売り出される前に、PVやCVがあり、Uマチックがあったが、それに対し著作権侵害の訴えは無かったことをソニーは、反論の根拠の1つに挙げた。

こうしたコモン・ローでは、権利侵害の被害を訴える側に対し、被害を与えたとされる方も事実を説明する義務が与えられる。それが「デスカバリー・ツー・リクエスト:説明責任追及」である。
つまり、何をやっても良いが訴えられれば説明責任が生じるのである。それもベスト・エフォートで、である。もし、意図的に隠ぺい等が後から発覚するとそのペナルティは大きい。

シビルローの日本では、法が明示的であり、それを犯していなければ良いとする考え方があり、それでコンプライアンスを標榜している1部上場企業がほとんどである。
これが、日本では有効な特許が生まれない素地ともなっている。特許権の侵害は、権利者だけが一方的に立証責任を持っているからである。

ソニーは、このディスカバリーを積極的に活用した。「ラッチェス」と「フェアーユース」である。フェアーユースは、「公共の福利」に関わる概念である。
ソニーの主張は、「国民の大切な電波資源の周波数帯を独占的」に使って、テレビ放送サービスを行っている放送局が流しているプログラムは、本来国民が自由に観ることができる権利である。
ただ、見逃してしまうとそのまま空中に消えてしまう。その時間をシフトする機械であると。
唯一の全米紙であったウオールストリート・ジャーナルに打った前面広告のキャッチは、”What is it, now?”として、壊れた時計の写真であった。

1984年まで8年に及ぶ訴訟は、その時間が社会が新しい技術を消化し、新しいライフスタイルを浸透し、数千万人がすでにタイムシフトでテレビ番組を見ていた。もし、ソニーが敗訴すれば、アメリカ人のほとんどがその費用の負担を要求されることになる。この1月ソニーは、勝訴となった。

因みに、この国民の掛け替えがない公共的資源である電波の周波数帯に、公平な価格を付けたのは、2017年にノーベル賞を受賞したアルビン・ロスのオークションの理論である。
この理論で国庫に収めた収入は、4兆円と言われる。日本では、実績をベースに既得権益をまもるべく、行政機関が随意契約に近い形で、国家の財産を配分している。


3) 負けたハリウッドはビジネスで復活し勝利する

ソニーの勝利は、ぎりぎりであった。その利を得たのは、VHS陣営であった。
ソニーは、ハリウッドには勝ったが、VHSのために戦ったようなものであった。ベータ対VHSは、30%対70%と大差がついていた。
しかし、時代は進んでいた。本当の勝利者は、ハリウッドだったのである。

映画のビジネスモデルは、音楽とは全く異なる。
最初の映画は、大都会の映画館で封切られる。そこでヒットするとロングランとなって、長期に上映される。やがて、動員数が落ちて行くと、フィルムに親から子へとコピーされて配られ、地方の映画館に、広げられて行く。
入場料金も時間が経ち地域が広がるにつれ、下がる。

ついでまたフィルムがコピーされ、海外に配布される。通常日本へは、コピーが繰り返された5世代のコピーである。
当然、コピーする度に、ノイズが増え画質が下がって行く。
そして日本でも、都会の一流のロードショウ映画館で封切られ、ロードショウが上映される。
短いと1ケ月で地方や通常の映画館で上映となるが、ロングランが好調だと1年や1年半以上続くものもでることもある。

当時、日本のロードショウを封切る前に、数百万円位の宣伝を掛けた。大きな看板や新聞や銭湯のポスター等であった。
最初は封切をまった観客で溢れ立ち見が出るが、週を追うごとに減って行く。その減り方は、西部劇などアクションものが大きく、ラブロマンスものが少ない。

アメリカでは、ロードショウに続き、ペイテレビで流される。番組ごとに、ボックスオフィス(劇場の切符売り場)と同じ料金を支払うことになる。
そして、スターチャンネル等の映画のケーブルや衛星放送の専門チャンネルで流される。その後、NBCやABCやCBS等の3大ネットに配信され、ケーブルテレビのベイシックパックの多チャンネルの中に流される。最後には、シンジケーションとして、システムオペレータによって、ローカルケーブルで配信され、その映画のライフタイム・バリュー(生涯価値)を閉じる。

こうした映像特有のプログラムのライフタイム・バリューを最大化するビジネスモデルは、タイム・ウインドウ・マネジメント論として、コロンビア映画の役員であったメル・ハリスによって、体系づけられている。

しかし、こうした劇場のボックスオフィスの売上を、ベータやVHS等のパッケージメディアの売上が次第に追いついて行った。それは、レンタルビデオ店のネットワークが充実されるにつれ伸びて行き、タイムウインドウの上位にポジションをとるようになり、やがて、ボックスオフィスを上回るようになって行った。
その予兆に最初に気が付いたのは、ウオルト・デズニーであった。彼らは、ソニー訴訟から離脱して行った。

つまり、裁判で勝ったソニーが製品で負け、負けたハリウッドが、ビジネスで勝利の成果を収め成長して行ったのである。
ただ、映像のビジネスモデルは、休むことなく、さらに進化を続けた。


4) なぜ、ヒトは映像を繰り返し見ないのか?

ソニーはVTRに、”ビデオ・テレビ”つまり、テレビというメディアの新しい「用法への拡張」をこのコンセプトに込めたのではあった.しかし、その既得権益を侵害されると、いわば受動的に反応したハリウッドの著作権訴訟によって阻まれた。
その結果、コンセプトはもっと論理的なタイムソフトというで機能的コンセプトへの対応を迫られることになった。

ただ、ビデオ・カセットという手軽なメディアは、勝手に進化し、新しいビジネスや新しい文化、そして新しいインダストリーを生み出して行くことになる。それは、人びとが望む、自然な流れである。

ソニーは、VTRのコンテントが、オペラや演劇や映画やテレビ等の動く映像の愉しみ方を、いわばより広く民主化するため、より少ない物質やエネルギーでそれを実現する、今で言うサーキュラー・エコノミーへの自然な法則を、つまりそれこそが科学ではなく技術者の務めであるとして、追求してきた。
それは単なる機能だけでなく、メディアとしての、プロダクツやサービスが身に着けている属性でもあった。

ソニーは、動く映像をコピーするためのダビング・マシーンを厚木の情報機器事業部に開発させていた。しかし、著作権裁判は、その出鼻をくじいた。
ベータのレンタルビデオソフトを高速にダビングする50台の業務用マシーンは、社内でもほとんど知られず、破棄された。
厚木の、ベータに対する感情は、ますます快いものではなくなっていた。

ベータの素人集団に唯一応援に派遣されたのは、滝田一人であったし、彼は2~3人で、ポータブルのベータデッキを開発し続けた。
が、それが1985年にもう一度ベータの復活を思わせるプロダクツ・スタイルを生み出すことになった。輪廻転生の新しい始まりであった。

基本技術がアナログからデジタルへ移行し、デジタル・オーディオのCDが登場した時には、ついにハード・ウエア産業とソフト・ウエア産業が歩み寄り、 DAT(Digital Audio Tape)の共通法案を一緒に推進するまでに至ったのである。

しかし、ソニーの管理専門スタッフ(adomi-staff)の中で、最も成長したのは、法務部門であった。プロジェクトを推進するラインスタッフは、まず、里親のトップを取り巻く管理専門スタッフとの闘いを余儀なくされれる。
しかし、本社の法務部門は、大きなスコープを描き、顧客や提携先を含め、ライン部門など全体の最善策を得ようとする態度を構えてくれるようになった。
これが、後のOEMビジネスを含むノンコンスーマビジネスの開発に大きな力となった。


5) ベータが生んだセルビデオという新しい映像文化様式

ドラマに代表される映像プログラムは、いわばカロリーが高い。大勢が観たがるジャンルである。
しかし、一度見たドラマは、2度目はあまり見ない。ドラマチックな展開の刺激が、ワサビの効かない寿司、辛味の無いカレー、アルコールの無いビールのような味になるのである。

ビデオは、セル型ではコストが高すぎる。消費者もカセットテープがどんどん溜まっても置き場に困る。
カセットを使い回すレンタルビデオというビジネスモデルが、まさに「サーキュラー・エコノミー」、つまり極く自然な技術の進化系に沿っていた。

盛田は、自分がニューヨークで、面接し採用したハーバードのMBAを優秀な成績で卒業した、John O'Donnellに、VCRのレンタルでなく売り切のセルビデオのビジネス事業部を立ち上げるよう指示した。

音楽は、レコード産業であった。レコードは、ハードフォーマットのプラスチック材料に溝にプレスして、セルビジネスが成立している。
しかし映像は、まだそのハードに転写して売る市場をそれまで開発できていなかった。
だからリアルな演劇場やオペラハウスか、エジソンが発明したフィルムでも、映画館にヒトを集めて見せる仕組みしか存在していなかったのである。

しかし、音楽も、映像文化としてのテレビの登場による影響を受け、変化し進化してきた。
ロッカビリーは、黒人のジャズが、白人がエレキギターで、高いリズムに乗って派手にダンスして歌うエルビスプレスリーによって、アメリカから生まれた。
そして、イギリスからビートルズによって、アメリカに里帰りし、ロックとなった。これには、カウンター・カルチャーとしてのリバティの香りが、些か混じっている。

Johnは、動画のビジネスモデルの定理とも言えるメル・ハリスのタイム・ウインドウ・マネジメント論を踏まえた上で、音楽と映像の関係に関心を持っていた。

映像は、時間が経つと価値が減って行く。しかし音楽は、いわばその逆に動く。
音楽をヒットさせるには、如何にラジオで放送してもらうかがキーポイントである。そしてライブツアーを組んで、地方巡業で顧客体験を積み上げてゆく。
いわば、映像とは逆に、聴けば聴くほど好きになる面がある。そして、その歌手やジャンルや思想を共有する時代を共有するうねりとなって行くのである。

このようなヒットを造って行くドラマは、小説”ヒット・マン”に良く描かれている。ラジオのデスクジョッキーには、マネー、ドラッグ、セックスの誘惑さえばらまかれているのである。
ドーナツ盤のEpやCDの裏面からヒットが生まれた例も多く、また、人気が証明された曲を集めてアルバムになる。つまりクラシックとなって価値が確立して行く側面もある。

当時、セルビデオへの挑戦は、いろいろな形で始まっていた。
ディズニーは、アニメに音楽を着けて子供向けに、歌とアニメキャラクターが、忙しい母親たちの手を空ける助けになることを、テレビ放送から学んでいた。

Johnが考えたのは、音楽と映像のフュージョン・メディアであった。例えば、ハリウッドの映画に対し、ニューヨークのブロードウエイのミュージカルのコンテントであった。
また、映画は再び見ないが、映画の名画音楽は、アルバム化させる。それは後のジョン・ウィリアムズがその代表者の一人である。

Johnが仕掛けたのは、新曲のプロモーション、特にロックの”ビデオクリップ”のセル・ビデオであった。
これは、全く新しいエンターテインメント産業を創造することになった。

セルビデオの挑戦は、映画のワンシーンに商品を入れてプロモーションするプレースメントの延長として、映画トップ・ガンが皮切りだった。トップガンのセルビデオは衝撃を持って迎えられた。
ビートの効いた音楽と歯切れの良いカットで、ジェット機の空中戦を描く映像のVHSカセットは、膨大な売りあげを記録した。
なによりその価格が安かった。それは、観る者を興奮させる音楽とビデオ映像の冒頭に、ペプシコーラのプロモーションがプレスメントされるのである。

もちろん、テレビのメインスポンサーは、視聴者が言一番消費がプロモートされる「飲んだり、食べたりするシーン」が効果的なマクドナルドやコカ・コーラである。しかし、15秒か20秒しか使えず、それも膨大な費用掛かる。
「トップガン」では、延々とプレースメント・プロモーションのシーンを入れることで、カセット価格を安くできたのである。

しかし、このジャンルは、ホームパーティ向けでもあり、作品が限られる。アメリカでは、広告とプロモーションとは、膨大なマーケッティングを2分する巨大な規模である。
しかし、このジャンルは安定したジャンルに育つことは無かった。

しかし、Johnが責任者として手掛けたミュージック・ビデオのジャンルだけが新産業としてイノベ―ションを果たしたのである。
ちょうど、1984年、”Best Video, Short Form" category が、Grammy Award で始めて 設けられた。
そこでノミネートされた5本がすべて、Sony Video Software からリリースさ れたものとなり、1社があるカテゴリー部門を独占したには、 Grammy Award 史上初の出来事だった。
そして、Duran Duranの 'Girls on Film' がウイーナとなったが、こ れが、SONYの’Grammy Award’ を勝ち取った初めての作品となった。

エリビス・プレスリーがロックンロールを、そしてカウンターカルチャの時代をフォークからポップスへ、その流れでビートルズのロックがアメリカを席巻した。
こうした流れは、テレビと共に、VCRというパッケージメデイアがもたらしたのである。

そして、マイケル・ジャクソンが、その新しいエンターテインメント産業を代表するマイケルジャクソンというスターが誕生し「キング・オブ・ポップス」の一人となった。
マイケル・ジャクソンは、ソニーに来ると、盛田の子供達と合うことを大切にし、楽しみにしていたようである。
そして音楽の全米ネットワークチャンネルのMTVも、ケーブルのミュージックビデオの全国ネットワーク・チャンネルに育って行ったが、こうしたビジュワル系のコンテンツを切り売りするストーリに載っている。

セルビデオのもう一つのジャンルは、ウオルトディズニーの子供向けアニメであった。子供は、飽きもせずアニメを繰返し繰り返し見てくれる。

ただ、Johnが信じていたのは、”ヒトの心に響く音楽には、言葉の力があり、それを謡う歌手のタレントの力がある”というものであった。
まさに、ミュージック・ビデオという文化ジャンルには、耳に届く歌の力と、スターという眼に迫るヒトの声の力が不可欠であった。

Johnは、ソニーを退社後、日本のアニメーションを英語の訳を着けて”ジャパニメーション”というジャンルを開発し、そこでのビジネスを立ち上げた。
それは、日本の漫画もアニメも知らないアメリカ人に、セリフの吹き出しを英訳して入れ替えたもので、それを”ジャパニメーション”と命名して売りだしたのである。

アメリカの著作権を良く理解できなかった日本の出版業界を説得して、売り出したのであった。
そして、ジャパニメーションが、アニメやマンガを指すのだと言うことを日本人が知ることになったのである。つまり、クールジャパンとは、ジャパニメーションのことであるかと。そして、アメリカン人もアニメやマンガやクールジャパンと日本人が言う言葉は、ジャパニメーションのことであるのかと。
そして世界でNo.1のジャパニメーションメディアの企業となった。


5) その後の著作権とビジネスの流れ

ハリウッドはテレビが登場した時、映画は映画館で鑑賞するものだと大衆を説得し、ビデオや放映権を再販することで、この危機を切り抜けた。
しかし21世紀となった今、エンターテインメントの形は、ノンストップの作品製作と、サブスクリプションを通じた視聴や鑑賞が主流となっている。

アマゾン・プライムは全世界で2億人の会員を抱え、うち1億7500万人が定期的に同社の作品を鑑賞している。
ネットフリックスの有料会員数は世界全体で2億800万人に上り、ディズニープラスには1億360万人が登録。今後はこれら3つのビッグプレイヤーが中心となり、いくつかの小規模サービスと共に、映像コンテンツ市場の大半を牛耳るだろう。
(Forbs 2021/05/25 アマゾンの資金力に勝てないハリウッド by Enrique Dans)

現在、音楽とビジュワルのフュージョンが進み、タレントを売り込むことが重要となった。それに従って、タレントが主役にもなっている。まずアルバムをプロモーションし、同時に、ツアーを組んでそれを売り、逆にそこからシングルを切出すという逆転させる流れも出てきている。
また、レーベルに依存しないミュージシャンの流れも大きくなっている。