序編 プロローグ
ビジネスはすべてイノベーションとなってくる

9章 イノベ―ションは文化と技術の遺伝子を持つ

1◇イノベーションは、新種のコア技術という生き物を生む

イノベーションとは、ある時、有るべきある場所で、ある文化という社会環境の中で、生まれて育つ、新種のコア技術という新しい生き物であるように思われる。

そこで、新種のコア技術という方式として育ち、いくつかの花を咲かせ実を結び、やがて枯れ葉や枝を枯らせ、地に落ちてその一生を終える。

ただ、その遺伝子は、他のコア技術の種の遺伝子と交叉し、新しい生命に養分を与える役割を持っている。
とはいえ、生き物はすべからく、生存競争で生き延びなければならない宿命を持たされている。
それは、動物であれ、植物であれ、そして菌類であれ、その場の資源空間という新しい環境の限界に囲まれた中で繰り広げられる闘いの物語でもある。

桃太郎伝説では、サンゴや瑪瑙等金銀財宝を車に積んでエッサカサ、村に還り着く。村びと達も出向かえて、お爺さんやお婆さんも大喜び。
連れた帰った鬼達は、立派な知識を持った技術者で、村びと達が知らなかった道具の数々を造ってくれて、作物は豊作となり、美味しい料理も作れ、人びとは元気で楽しく暮らせるようになったか。めでたし、めでたし。

ただ、多くの民族は、闘いに遠征し勝って帰還の途についてからホームインするまでの英雄たちの困難な闘いや、ときに哀れな末路を語り継いできた。
ギリシャのイリアスに攻めて行き、帰路に災難に見舞われるオデッセイヤや、アリストテレスの弟子で、出稼ぎに身を粉にして、ペルシャの王子に肩入れして故里に還りつく、哲学者のクセノボンばかりでない。
本朝にも、能や琵琶法師や松尾芭蕉等が、武士たちの興隆を描いた平清盛や木曽義仲、源の義経等を謡い詠み継いで来た。時代は下っても、織田信長、明智光秀、豊臣家の末路も大河ドラマとして人気が続いている。

こうした闘いのリアリティは、スポーツに昇華され、ベースボールやオリンピック・ゲームの祭典となっている。

中古以来、人びとは、農業資源の土地の争奪戦となって領土を巡る闘いから、交流通商要路市場を巡る闘いとなり、そして工業生産物の交換組立て市場を巡る企業と産業の闘いとなっている。
そして、現在、サービス産業時代となって、技術、つまり価値を造る諸資源の不確実性を軽減できる知識の獲得作業であるいわば、”イノベーションの座組み”を巡る覇権の闘いになっているように思われる。

近代国家が誕生した1850年以来、クリミア戦争(1853~)を含め、人類は、3度の世界大戦を戦ってきた。
クリミア戦争では、遅れて参入したロシアからの既得権益に対する侵略を食い止めるため、トルコを前立てにイギリスとフランスが連合した。
闘いは、西はバルカンから、北はバルチック海を経て、東は日本海を通過しカムチャッカ海峡での連合艦隊が、ロシア艦隊と闘ったが、勝戦国なき大戦として終わった。

第1次世界大戦(1914~)は、遅れて参入したドイツ=オーストリア連合に対し、既得権益を守ろうとしたフランス=イギリスが闘った。

第2次大戦(1939~)では、遅れて参入してきたドイツ=日本=イタリー連合に対し、再び既得権益を巡る利害が衝突しイギリス=フランス=オランダ=アメリカが組んで対抗し闘った。
イギリスは中国とインドに、フランスがアフリカに、太平洋にはオランダとアメリカが権益を持っていた。ただ南米大陸に権益があったスペインは英米に力を削がれ衰弱が著しく闘う力を失っていた。いずれも、防衛ラインを守るという正義を主張したのである。

こうした新興勢力の出現は、既存勢力にとって、常に脅威となる。
ディストラクティブなイノベーションもまた、既存権益にとっては、脅威と映り、受動的反撃性症候群をもたらすことになる。

近代国家の誕生以来、国家の総力を挙げた闘いは、まさに軍事力とその基盤である経済力の闘いでもあった。
ちょうどそのころ、武器を捨てて生身で闘う近代オリンピック・ゲームと、技術と文化の力で闘う万国博覧会とに分離して、国威を競う祝祭が開催されるようになった。

前者は、1859年から何回かの失敗を経て、第1回オリンピックは、1896年ギリシャ王国アテネで、14か国から241名の選手を集めて開催されて始まった。その起こりは、古代ギリシャのアテネ群がトロイに攻め込んで勝利した後、兵士達の賞揚と戦勝祝いを兼ねて催されたとされる。
後者は、1851年ロンドンハイドパークで開かれた「第一回ロンドン万国博覧会The Great Exhibition」で25か国が参加した。その起こりは、紀元前のエジプトやペルシャの国王即位祝典行事で、芸術品や衣装が民衆に披瀝されたものとされる。

こうして、身体と技術の闘いは、スポーツとイノベーションのゲームの祝祭へと進化してきたとも言えよう。

経済と産業は、政治と軍事の下部構造であり、その下部構造は技術という不確実性を低減する知識である。そして技術の構造もまた、標準化とマネジメントとデータに関する技術によって支えられている。

技術の覇権をめぐる政治的闘いは、第2次大戦後の1950年から東西冷戦となり、米国とソビエトがミサイルや原子力の技術で闘った。しかし1980年後半ミハイル・ゴルバチョフは民主化を目標としてペレストロイカの政策を導入し、ソ連は崩壊した。

その後は、日本が台頭し、アメリカと半導体やコンスーマ製品の技術の覇権を争った。1971年は、時代の変わり目となり、ニクソンショックでUSドルが金と切り離され、単独国家だけの合法的マネーとなった。
つまり労働余剰と交換余剰を繋ぐ国境を超えた決済手段が、デカップリングされたとも言えよう。そして、1985年、遂にアメリカは、日本から”技術を封印すること”に成功し、ICT:情報と通信に関する技術の覇権を握った。

そして21世紀に入り、米国と中国はICT時代の、新しい第3次技術覇権戦争の時代に入っている。
世界は、いわばイノベ―ションの祝祭イベントゲームの時代でもあり、飛躍的な進化を遂げるべき時代でもあるといえるのではなかろうか。

ちょうど、1970年に、”世界第一回イノベーション会議World First Innovation Conference”が、東京で開催されたという事実がある。これは、世界の特許制度のルールを整備し調和する役割を担う発明協会が主宰し、経済同友会等が支援した。
基調講演をソニーの創業者の井深大が”私の採ったイノベーションの方法”と題し、4枚のポスターを掲げ講演した。米国やその他の国の産業界や学会から多数の参加を得た。
そこで井深が提唱したのは、言わば”イノベ―ションのマネジメントの技術論”であった。

イノベ―ションは、自律し分散した衆知を集めて成されるべきもので、言わば”イノベ―ションとマネジメントとは相容れ難いもの”であるとも言える。
井深がソニーの設立に当って、”自由闊達にして愉快なる工場の建設”という言葉に、それは端的に述べられている。
そこで井深が提唱したF-CAPsは、いわば、”イノベ―ション・マネジメント・オブ・テクノロジー”とでも言うべきものであった。
あれから50年が経った。井深は、当時から”技術のオリンピック”が有っても良いのではないかとも言っていた。


2.◇ メディアは人類の闘いの歴史を演出してきた

戦争の歴史は、孫子以来”虚を持って実を撃ち、実を持って虚を撃つ”と言った。現代に至る情報戦が果たした通信技術の側面も欠かすことができない。
古くはギリシャ時代のマラソンから、戦国時代の狼煙や、近代に至るまで、戦争によってコミュニケーション・メディア技術が進化した側面は無視できない。

クリミヤ戦争では、有線電信が発明され戦場に張られ、ツー・トンの2値のデジタル有線信号を使って、リアルタイムで、時と場所に必要な兵士や武器や物資の兵站戦略や活動指令が届けられ、オペレーションがプログラムされ遂行された。

第1次大戦では、有線に替わって無線電信が発明され戦場に通信部隊が配置され、ツー・トンのデジタル無線信号を使って、リアルタイムで、戦略が組まれ作戦が組み上げられ闘われた。当初、圧倒的な戦果を誇ったドイツの電撃作戦である。

第2次大戦では、1923年にUSのピッツバーグで始まった広告付きラジオ放送が圧倒的なビジネスモデルとなり、当初はP2Pの個人間の無線通信手段であったアナログ電波がマスメディアに進化し、1939年には公衆に普及し、リアルに近いアナログの声で、戦争のニュースが伝えられ「ラジオ戦争」と呼ばれた。

ヒットラーも肉声でドイツ国民にプロパガンダを行った。多くの市民が聴取できるように、ナチ党が特別に開発を推進し、大々的に生産されたのが「国民受信機」であり、価格は従来の200~400から76ライヒスマルクへと安価に抑えられ、国民のほとんどが手にすることができた。そのためラジオは、すぐにナチのプロパガンダで影響力の大きなメディアへと成長した。(Wikipedia)
因みに、日本でも人間天皇の肉声を、ほぼ全国民が正座し終戦の詔勅として、初めて聴くことになった。

テレビが戦争と関わったのは、1960年代のアメリカのベトナムとの闘いであった。リアルな映像が居間や茶の間に流れ込んできた。そして厭戦気分が広がりその決着を急かせることになった。
また、月面への人類の到達という宇宙開発競争ゲームのエポック・メイキングな、まさにその大統領の暗殺の映像が世界中に配信された。

そして、20世紀末には、激動の映像の時代のドラマが、やがてENG:エレクトロニック・ニュース・ギャザリングとなり、空と地を繋いでリアルタイムのマルチチャンネル・テレビの時代となったのである。
さらに、21世紀は、ネットワーク時代となり、フィジカルとバーチャルが融合する世界として、メタバースの時代に突入している。
そこにおける技術という種の資源空間は、今までと全く異なるバウンダリー・コンデションによって構成されることなる。


◆イノベーションは、マッチング・メカニズムの進化

新しいプロダクツが、コア技術をその用途に適用させて存在できるように周辺技術で包んでモジュール化し、その用法としての 新製品が、どのようなサービスをオーディエンスと共に実現できるかということであり、どのような顧客に対し、どのような用途や用法でどのような価値を発揮できるかであった。
つまりプロダクツのソフトウエアの実現問題で、プロダクツとヒトと情況とのサービスニーズを満たすマッチングの問題であった.

しかし、イノベ―ションが、”より楽しく豊かな社会への貢献”であるとすれば、社会全体のいわばライフスタイルまで刷新する必要がある。
イノベ―ションがいわば自走化する力を持つためには、その開発されたプロダクツやサービスが、自らそのDNAを繁殖する力を持たなければならない。
楽しく豊かなという価値は、文化の価値である。何が善く、何が美しく、何が正しく、何が快適かである。それは、その民族が長い間育んで育て磨いてきた生活に埋め込まれている。つまりイノベーションという雲が乗って漂う上昇気流は、民族の文化である。

イノベ―ションは、プロダクツに、ユースウェア(使能)をイメージさせて身に纏わせ、そのニーズ者とのマッチングする商品企画(マーチャンダイジング)機能を実現することによって、”より楽しく、より豊かな社会を実現するまでのプロセス”である。

このユースウエアは、プロダクツやサービスの基本的能力によって支えられるが、これはユーザと共同する能力でもある。
そして、プロダクツやサービスが、ユーザと共創するためのもう一つの能力が、フィールウェア(魅能)である。このフィールウェアもプロダクツやサービスの基本的能力によって支えられるがいわばそれら自身が持つ共感を広げるユーザと共同する能力でもある。

これらのいわば社会化する能力は、ファンクショウェア(機能)とパフォームウェア(性能)というプロダクツやサービス本来の能力によって支えられる。
また、プロダクツ・デザインは、そうした4つの能力と、ヒトの価値観を繋ぐインターフェースである。

こうしたイノベーションの本質は、ヒトの心身の拡張欲求を満たす6感のメディア技術への追求と重なっている。
そして、マーチャンダイジングは、プロダクツ・デザインやマーケッティングの4Pデザインとを統合する社会への架け橋となるいわばイノベ―ション・アーキテクチャ―の骨格でもあると言えよう。

しかし、その限界を形成するバウンダリー・シェルの1つは、ヒトの経験に基づく、新しい技術の種の用途とその用法というリテラシーであり、それが社会で形成される様式であろう。つまりそれを良いと思い、楽しいと感じる文化であろう。


◆ 標準化という基盤技術とマッチング・メカニズムの進化
~戦後日本は標準化が社会余剰の最大化をもたらした~

戦後の日本の産業復興は、人力によって機能する加工組み立て産業から立ち上がった。時計、カメラ、オルゴール、顕微鏡、ミシン、自転車等である。そしてそれを支えたのがJIS規格であった。
この標準化という基盤技術は、GHQが東京と名古屋までの通信網を維持するために真空管の標準化が成されていないことで、品質管理の講習会を開催して教育したことから始まった。その思想を満ち込んだのがサラソンであった。
ただ、日本には、社是社訓をもつ老舗企業がかなりあり、社内標準化活動も国の標準化もスムースに進んだと言われる。

石炭から石油にかわり、そして電力が使えるようになって、アメリカの洗濯機や冷蔵庫やラジオ等の家庭電器製品を使ったライフスタイルが映画等で見られるようになり、日本での家電製品の産業とそのショウルームとでも言うべき市場が秋葉原や大阪の日本橋に出現した。

10社以上あった家電各社は、店頭で価格と機能を競わされた。
ユーザは、買い回りと称して、軒を並べた店を比較して回って、価格を値切り、機能と性能の差を調べた。それは、いまでいうリビングラボのようなものであった。
企業は、必死になって技術開発競争に奔走した。つまり生産者も消費者も、急速に、余剰を確保するいわば集団学習の場に引き出されたのである。

こうした生産者余剰に、消費者余剰が加わることによって、また、さらに仲介者余剰が加わって、社会的余剰が大きくなった。
そして、技術革新によって、資源やエネルギーやそれを使ってプロダクツやサービスを提供する生産活動の生産性が上る。
また、それを必要とするヒトの状況にマッチングする資源やエネルギーやそれを使ってマッチングする活動の生産性が上るという好循環が実現した。


3.◇供給と需要のマッチング・メカニズム:

◆夢の消費のウインドウは都市とデパートの機能だった

産業主義そのものの進展が、”生産的価値体系(労働余剰)”から”消費的価値体系(交換余剰)”への重心の移動を社会に要求すると言う認識は、19世紀の末に現れ始めていた。
その頃フランスの都会には大きなデパートが出現した。そして1851年のロンドン水晶宮で幕を開けた一連の大規模な博覧会は、1900年のパリ万博によって、生産から消費への価値のシフトを目に見える形とした。そこでは知識の発展を見据えると言う抽象的で知的な喜びよりも、官能的な楽しみの方が勝利を収めたことは明らかだった。

このヒトの耳にリアルタイムに届くラジオというメディアは、ヒトのイメージ空間を広げる力を持っている。オーソン・ウェルズの「火星人がニュージャージに来襲し、もうすぐニューヨークに攻めてくる」という”実況放送”が、非難する人々を生んだラジオドラマ事件は有名である。

以下、少し長くなるが、イノベ―ションという社会現象を、マーチャンダイジングの立場から眺めて見よう。
以下、ロザリンド・ウイリアムズ、林進訳、夢の消費世界、歴史の中のコミュニケーション、新曜社より、かいつまんで、彼の説を紹介したい。

「1900年の博覧会は、消費者革命のモデルを提供した。社会の各層に浸透しつつあった文化的な変化はが、会場に具体的に凝縮され、目に見える形をとった。その一つの変化として、マーチャンダイジング(商品化計画)にもっぱら重点が置かれていた。この消費者の空想に訴える方法、技術であった。
銀行業務と夢、販売の売り込み口上と誘惑、PRと満足は、ばらばらに採り上げるときはしっくりしない。だが、自ら浮かび上がる空想は、そのあるべき姿を保ち、日常の経験の彼方にある心理を指し示すのであり、詩人のキーツは、これを”想像力の真実”と呼んだ。」

「1900年の万国博覧会は、想像的な願望と物質的な欲望、将来的な夢と商売、集団意識によるイベントと経済的事実によるイベント、それぞれの間の新しい結びつきを実現させている。
”消費者の夢の世界”という表現は、この非物質的次元に関わっている。私たちは、歴史的に最古の時代から人間の精神が肉体的な生存の問題を超越して、より優れた、より豊かな、より満足に値する生活を想像していた兆候を見出している。ただ、その一端を満たすべく、芸術や宗教がそれを表現する方法を提供していた。」

「19世紀末になると、このような古くからの熱望に接近できる商品が、広範に手に入るようになった。欲望の中心となったのは、文化に関わる他の面よりは、消費財であった。抜け目ない計算と夢見心地の目をした空想いう一見相反する活動がビジネスとして合体し、消費者に呼びかけて彼らを素晴らしい快楽と満足と娯楽の世界に招待した」

「19世紀後半1852年にパリにデパートの第1号のボン・マルシェが開店したのは、万国博の背後にあったのと同じマーチャンダイジング技術の変容に依るものであった。それは、従来の小売よりも品数を揃えたこともあったが、ショッピングに、全く新しい一連の社会的な相互作用を導入した。
冷やかして歩く自由、つまり、実際に買う義務を負わないで夢に浸る自由と引き換えに、値段の決定に積極的に関わる自由を放棄し売り手が付けた値段を受け入れなければ成らなくなった。」

「客と小売商との活発なやり取りは、消費者の品物にたいする無言の受動的な反応に変わったが、これは”文明の過程”が如何に対人的な攻撃性を和らげ、他方、品物に向けられる欲望と感情を奮い立たせる顕著な1例である。
デパートと言うのは、こうした欲望と感情をあおりたてるように組織されている。消費者はその時に買わなくて済んだとしても、マーチャンダイジングの技術は、彼に迫っていつかは買う気にさせる。
大量消費の環境としてのデパートは、消費者が観客として商品を楽しめる場所、販売が娯楽と混じりあう場所、そして客の欲望を目覚めさせ自由に浮遊させることが特定の品物の衝動買いと同じくらい大切な場所である。」

「こうした例として、博覧会、見本市、遊園地、ショッピングモールから、大きな空港、そして大都会に至るまでが含まれる。
このような場所が誘発する無感覚の催眠状態は、革命前の上流階級でサロンにおける社交が彼らの消費生活の典型であったように新しい大量消費の典型的な社交の形式になっている。」

以上であるが、都市、デパート、ショウウインドウ等は、交換価値を生むメディア、つまり新しい闘いの競争の場と手段であったと言えよう。
アダムスミスの言うとおり、市場が広がり、交換手段があれば、分業が起き、生産労働価値も高くなる。社会余剰は、見えざる神の手によって最大化されるのであろう。


◆ コア・テクノロジーとの共進化現象
~ソニーはメディアと半導体とコ・イノベ―ションを目指す~

ソニーが、眼耳鼻舌身意に関するセンサーと、その対象とする色声香味触法に関する表現手段としてのメディアというビジネス・ドメインに身を置き、そのイノベーションをミッションとして来た企業であったとすると、それは、生産者と消費者の活動の生産性を上げること自体がミッションであったとも言えるであろう。

そのパースペクティブからすると、メディア自身も進化すべく、その価値を上げるべき、メディア自体も進化の源泉として、自らを売り込む能力を上げるのも自然な流れの姿であったと言えよう。

事実、無線の音声メディアであるラジオや、映像メディアであるテレビは、広告やプロモーションにそうした特性が合っていた。

現在のGoogleやFacebookに見るように、文字等のデジタルの理性メディアであれ感性メディアであれ、広告からの収入が80%も占めている事実がある。
またアマゾンやアップルも、巧妙な仕組みで仲介するメディアの立場に身を置いて、2-サイデッドマッチングの集約的な利益を享受し繁栄を謳歌している。そして今や、謳歌し過ぎていずれの国かを問わず、その弊害を気にし始めている。

リアルな都市や街やオシャレなショウウインドウが、コロナ禍で、バーチャルなメディアとフュージョンしてゆくとき、感性メディアと理性メディアもメタへとフュージョンしてゆくであろう。
そして、メデァイア・フュージョンした社会における、生産者と消費者と仲介者を、効率的で、公正で、安定的なマッチング活動を支援する技術のプロスぺクティブをこそイノベーションする必要がある。(注 ただこの3条件を満たすメカニズムは存在しないとする経済学の定理があるが、崩す条件を見つけたい、、。)

プロダクツは、ソフトウエア―を纏い、サービスを提供する。
プロダクツは成長し、ソフトウエア―も進化する。そのサービス・コンテンツは、スコープを広げ、メディアの発展により、社会は、より楽しく豊かになるはずである。
ただ、そのプロダクツが育つための様式は、新しい次の世代のための代謝作用に仕えるべく待つことになるのであろうか。

こうしてみると、メディアの本質は、価値のブースティング作用であるとも言えるが、従来のプロダクツの生産者余剰が、
・原料 + 設備 + 加工法
などの資源から来ていたとすれば、ソフトウエアーの生産者余剰は、
・Data + コンピュータ + プログラム
となるであろう。そして、そのイノベ―ションは、収穫逓増の法則により、さらに生産性の向上のブースト現象をもたらすであろう。つまり、これを、
"Sony myth、It's An innovation story of media"
とすれば、ソニーに見る換喩としてのメディアのイノベーションの物語となるともいえよう。

因みに、換喩とは、表象による表現の一種で、隠喩と異なり部分をもって全体を表象する修辞のことでメトニミーである。
この例は、王を王冠で表象するようなもので、王は身体の一部に王冠を戴く存在だからである。隠喩が王とライオンを全体的な関係で表象しているのに対して、換喩は部分と全体の関係を関連性ないしは延長としてみている。


4.◇ プロローグから各編への案内

プロローグの最後として、この後に続く、1編から先のご案内について触れる。

1編では、”SONY 神話、あるイノベ―ションの物語”として、3のケースを採り上げる。
”トリニトロン”と、”ベータマックス”と、”3.5インチMFD”を中心にその周辺の技術や文化やビジネスが、いわば自己組織化するように共進化したストーリの一端を紹介したい。

まず、”ディスプレイ・メディアの用途と様式は共進化”として、トリニトロンを取り上げる。
次に、”映像の記録メディアの用法と様式の共進化”として、ベータマックスを取り上げる。そして最後に、”言葉の記録メディアの用途と様式の共進化”として3.5インチMFDを取り上げる。

こうした3種のイノベーショでは、それぞれ、イノベーションの5段階仮説を想定している。
そこでは、プロローグで紹介された、幾つかのイノベ―ションやそのマネジメントに関するコア概念の実例が読み取れることを期待する。

2編では、プロスペクティングというイノベーションの展望として、イノベ―ションのプロセスを5段階の進化活動とする仮説に立って、その各段階からの展望する活動を解説する。
プロスペクティングは、イノベ―ションと組織という合い矛盾する活動を、マネジメントする技術としてのF-CAPsの柱である、プランニングと照合関係にあるプロスペクティングという、いわば冷静な監査機能でもある。

そのため、トップマネジメントの主観的な観念に対し、客観的な観察データに基づく、専門家の判断とアドバイスが、イノベ―ションの5の段階に沿って、述べられる。

3編 から5編まで
3編から5編までは、実際のデータに基づいて、イノベ―ションの5段階の中で必要となるデータの活用法を解説する。
特に、連環データ分析の用法を説明したい。
その多くが、他の教科書に無いものや、従来ある方法でも、その限界や、謝り等を、図法で解説したい。
3編では、「クロス表データの同時布置・同時クラスタリング分析法」について、4編では、「行統合型のクロス表データの連環データ分析」、5編では、「行&列統合型のクロス表データの連環データ分析」の用法に着いて説明する。

6編以降は、連環データ分析の主な用途や用法について紹介したい。
例えば、” 言葉と尺度がイノベーションを駆動する”として、テキスト&データフュジョンマイニングや、”コンセプト・デザイン”のための”コンセプト・コンパス・チャート”、またコンセプトの評価の可視化手段としての”コンセプト・レーダー・チャート”、さらに顧客満足度の本音を引き出す”NPS+オープンQ法”等である。
また、連環データ分析が可能となる、”クロス表で整理することができるデータの種類とデータ構造について触れる。